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アンコール遺跡を守る〜保護と修復の現在〜 |
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遺跡修復のはじまり 1860年にアンリ・ムオーがアンコールを「再発見」した後、1900年にはフランス極東学院が設立されてアンコールの本格的な整備・修復と研究が開始された。その後フランスの統治下で、遺跡の研究と同時に観光コースの整備が行なわれた。今現在行なわれている観光のスタイルの基本的な部分はその頃にできあがったものだ。 彼らは主要遺跡の周遊ルートを設定し、それらの遺跡に生い茂っていた樹木を伐採し、下草を刈り、修復作業を行った。現在我々が見るようなアンコール遺跡公園ともいうべきエリアが整備されたのは1930年ごろの事らしい。それ以前のアンコールは、一般の観光客にとっては秘境と呼べる場所だっただろうが、実際には1900年代に入って早々に観光客が現れた記録がある。プノンペンからトンレ・サップ川を蒸気船でさかのぼり、さらにトンレ・サップ湖を渡ってプノム・クロム付近で小船に乗り換えてシェムリアップに至り、ここから牛車でアンコール・ワットをめざした。アンコール・ワットには簡単な小屋がけがあってそこに泊まり、持参した食料と寝具で数日を過ごし、同じ道程を引き返した。当時は見ることができるのはアンコール・ワットとバイヨンくらいだったらしい。 20世紀初頭のアンコール遺跡の写真を見ると、遺跡はどれも相当傷んでいたこと、いたるところに樹木が生い茂っていたことがわかる。 |
アンコール・ワット西参道の両脇はまるでジャングルのようで、石畳の参道だけがわずかに顔を出している状態だった。参道脇だけでなく、石の寺院だけを残して周囲は密生する樹木に埋め尽くされていた。第一回廊の内側も同じような状態だった。 バイヨンの荒廃ぶりも想像を絶する。外側の回廊の列柱は倒れ、樹木に覆われていて、更に中央祠堂付近まで樹木が這い登っている。岩肌が見えないくらいだ。王宮内のピミアナカスには何本もの巨木が生えていた。プレア・カンも現在のベン・メリアを彷彿とさせる光景だった。その後の保存修復活動によって、樹木が伐採され、現在のような景観となったのである。 近年、アンコール遺跡を資源として、シェムリアップには高級ホテル群が次々に建設されている。アンコール・ワット東方の原野には、大規模なホテールゾーンが設定されて開発がはじまっている。アンコールが世界のリゾートとして大発展するのは間違いない。そんな状況下、観光客の急増にともなって、遺跡にはさまざまな制約が設けられはじめた。柵やロープが観光客と遺跡の距離を隔て始めた。管理が始まったのである。これまではどの遺跡のどの部分にも触れることができたが、これからはそういったことは不可能になっていくだろう。 |
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遺跡の保護と修復にあたっているカンボジアの政府機関のウェブサイト APSARA (Authority for the Protection and Management of Angkor and the Region of Siem Reap) 遺跡の修復にあたっている各国の機関・団体の名称とウェブサイト アンコール・ワット(西参道): 日本(アンコール遺跡国際調査団) アンコール・ワット(最外周壁内北経蔵): 日本(日本国政府アンコール遺跡救済チーム) アンコール・ワット(第一回廊など): インド(インド考古局) アンコール・ワット(環濠西側護岸): イタリア アンコール・ワット(デヴァターの剥離防止など): ドイツ(GACP) プラサート・クラヴァン: フランス(フランス極東学院=EFEO) ロン・ルモン: フランスフランス(フランス極東学院=EFEO) プラサート・バイ: フランス(フランス極東学院=EFEO) バイヨン(北経蔵): 日本(日本国政府アンコール遺跡救済チーム) プラサート・スープラ: 日本(日本国政府アンコール遺跡救済チーム) バプーオン: フランス(フランス極東学院=EFEO) ライ王のテラス: フランス(フランス極東学院=EFEO) 王宮正門: インドネシア プレア・カン: 米国(WMF) タ・ソム: 米国(WMF) トマノン: フランス(フランス極東学院=EFEO) チャウサイ・テヴォーダ: 中国(CSA) プレ・ループ: イタリア タ・プローム: インド(インド考古局) バンテアイ・クデイ: 日本(アンコール遺跡国際調査団) プレア・コー: ドイツ(GACP) バンテアイ・スレイ: スイス |
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