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プチュム・ベンは、ポルポト時代(1975〜1979)以降、最初に復活したカンボジアの年中仏教儀礼(林行夫「仏教の復興」『もっと知りたいカンボジア』所収、弘文堂)で、その目的は故人の供養である。つまり、日本でいうところの「お盆」にあたる行事だ。知人のカンボジア人に聞いたところ、この年中儀礼は15夜にわたって実施されるが、最初の14日間は「カン・ベン」、最後の日(15日目)は「プチュム・ベン」と呼ばれ、全体を指す場合も「プチュム・ベン」というらしい。人々はこの期間になると、花やロウソク、僧の食べ物などの供え物とともに近所の寺院へ行く。どこの寺院へ行くかは特に決まって
いないが、多くの寺院に詣でるほど功徳が大きくなるとされている。
僕はこの行事の様子を収録するため、収録前日、ゲストハウスの従業員に近所のお寺の位置を教わり、早めの夕食をとって布団にもぐりこんだ。そして当日、どこからともなく聞き覚えのある音声が耳に入り、目を覚ました。拡声器を通した人間の声のように聞こえるその音は、3年ほど前、スリランカ(カンボジアと同じく上座部仏教徒が多数を占める国)の古都キャンディで、同じく早朝に聞こえてきた読経の声とよく似ていた。外に出ると周囲はまだ暗く、月の輪郭はくっきりとしている。日中は車やバイクの往来が激しい国道6号線だが、この時間はモトドップの姿がぽつぽつと見られる程度。音声は前日に場所を教わったケサララム寺院のほうから聞こえてくる。
寺院の境内にはロウソクを持つ人たちの姿があった。暗闇にゆらゆらと揺れる紅い炎が、幻想的な光景をつくり上げている。人だかりのすぐそばでは、拡声器を手にした人が呼びかけの声のようなものを発している。イスラームのアザーンのような性質のものだろうか。お寺の本堂の入り口は、脚の踏み場を見つけるのが困難なほどの混雑で、人々が腰を下ろしてお坊さんの読経を聞いている。本堂の中も読経に耳を傾ける人で埋まり、奥に目を向けると左手には黄褐色の袈裟をまとったお坊さん、右手には純白の袈裟をまとった尼さんの姿がある。お坊さんのほうが人数が多く、少年僧から老僧までと年齢層は幅広い。上座部仏教では、男性はみな一度は出家することになっているからだろう。しばらくすると、今度はお坊さんたちのあとに続き、人々がお経を唱えていく。彼らの口から発せられた経は、ひとつの音楽となって本堂の中にこだました。
「ゴォーン ゴォーン」という銅鑼の音とともに読経がひと段落すると、人々は本堂前の広場に移動し、列をつくり始める。手には蒸した米でつくった団子と火を灯したロウソクをのせたお盆を持っている。米の団子は祖先の霊に供えるためのもので、大きさは一口大くらいである。カンボジア人の主食はうるち米だが、この団子はもち米でつくられているところが興味深い。その理由は「祖先の霊はもち米を好むから」だという。
広場には拡声器を持った僧侶が一人、なにやら指示のような声を発している。それに従うかのように「火の列」はやがて動きだし、本堂をぐるりと取り囲むように時計回りに歩き始めた。列に続いて進んで行くと、人々は歩きながら餅米の団子を放り投げはじめる。この投げるという行為(「ボッホ・バーイ・バン」という
)によって、もち米の団子を祖先の霊に供えるのだという。寺の周りにはお供え台のようなものが設けられていて、そこに線香と一緒に供える人の姿もある。僕が訪れたケサララム寺院では、お供え台のところで祈りを捧げている人もいた。
寺院での行事だというので、取材の際にやや構えてしまったのだが、実際に「参加」してみるとおしゃべりをしている人やじゃれている子供たちの姿があり、特別な儀式という雰囲気は感じられなかった。むしろ日常にすっかりとけこんだ行事という印象だ。それだけカンボジアの人々と仏教とのつながりが緊密なのだろう。 (井伊) |
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