新国王とカンボジア王室

2004年10月上旬、カンボジアのノロドム・シハヌーク国王が退位を表明した。カンボジアでは王位継承は事前に決められている継承順位によるのではなく、国王を選出する委員会によって指名され、国会が承認して実効性を持つ。こうした手続きの結果、次の国王としてノロドム・シハモニ皇太子が指名され、戴冠式は10月29日、プノンペンで行われた。
 
ノロドム・シハモニ新国王のプロフィール
カンボジアの新国王となったシハモニ国王が、三日間にわたる戴冠式の最終日にあたる10月30日、以下のように語ったという。
(訳はラスメイカンプチア新聞日本語版による)

「私は常に国民に対し誠実で献身的な奉仕者であり、常に国民とともにいたい。私は全国民と親しくあり、苦楽をともにしていきたい。王宮には国民に対する秘密は何もない。我々は一つの大きな家族なのである。毎週私は多くの時間を国民との対話のために費やし、各地方を訪問したい」
「純粋な愛国心のもと、我々はあらゆる種類の不正を廃絶し、国民と国家の命の利益となる理想を守っていかなければならない。我々は自分たちの利益のためだけに行動をしたり、争ったりすることがあってはならない。我々は、食糧不足に困っている貧しい人々を助け合わなければならない。最後に、一国の国王として、国民の下に頭をおき(姿勢を低くし)、国民より上にいてはいけない。国王は国家、国民の君主ではないという事を忘れてはならない。国王はいつの時代でも、その一生を国家と国民への奉仕者として費やさなければならないのだ」

ノロドム・シハモニ新国王(HM King Norodom Sihamoni)はノロドム・シハヌーク前国王の妃、モニク妃の2人の息子の長男である。モニク妃はロドム・シハヌーク前国王の6番目の妃にあたる。
1953年プノンペンに生まれ、9歳からプラハでクラシックバレーを学び、その後パリに移ってバレーを教えていた。
公職としてはカンボジアのユネスコ大使を勤めたが政治との関わりは希薄である。
これまでの生涯の大部分をヨーロッパで過ごしてきたノロドム・シハモニ新国王だが、クメール・ルージュによってノロドム・シハヌーク前国王が王宮内で幽閉生活を送っていた際には 弟のナリンドラポン殿下と共に帰国して宮殿内で生活していた 。
   
ノロドム・シハヌーク前国王のプロフィール
ノロドム・シハヌーク(HM King Norodom Sihanouk)前国王は1922年10月31日生まれ。
1941年、フランス植民地下で18歳で即位して以来、カンボジアと国際政治の激動を生き抜いてきた伝説的な人物である。
第二次世界大戦中、日本軍の進駐によりフランスが支配の実権を失うと独立を宣言。戦争終結とともにフランスは再度進駐するが、粘り強い交渉によってついに独立を勝ち取る。1953年のことである。
1955年には王位を父親のノロドム・スラマリットに譲って政治活動を展開する。戦後カンボジアで唯一の「平和な時代」だった。しかし一方では国内で広がり始めた共産主義運動を弾圧。その後の解放勢力の拡大の誘因のひとつとなった。
1970年、外遊中に起きた当時の首相ロン・ノルの右派クーデターによって北京での亡命生活を余儀なくされる。クメール・ルージュと組み「王国民族連合政府」を樹立。カンボジアは内戦時代に突入した。
クメール・ルージュの政権奪取後はプノンペンの王宮内に軟禁される。
1979年、べトナムによるプノンペン陥落直前に北京に脱出。ポル・ポト派、ソン・サン派、シハヌーク派による「三派連合」を旗揚げ。1991年のパリ和平協定、1993年の国連による管理を経て同年国王に復帰。
 

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ノロドム・シハヌーク前国王を中心とするカンボジア王室の系譜

(1)アンドゥオン王
近代カンボジアの基礎を作った王とみなされている。 王位継承権はこのアンドゥオン王とその息子であるノロドム王、シソワット王の男子の子孫から選出される。
アンドゥオン王は1846年即位。シャムとベトナムの脅威から脱するためフランスに保護を求め 、ノロドム王の時代に入ってフランスとのあいだに保護条約を締結することになる。
(2)ノロドム王
アンドゥオン王の最初の妃の息子。この時期、フランスの圧力が強まり、かいらい化が進行していった。 ノロドム王が王位についた翌年の1860年、アンリ・ムオーがアンコールに入り、遺跡群を再発見する。1866年、ノロドム王はウドンからプノンペンに遷都。
(3)シソワット王
アンドゥオン王の2番目の妃の息子。この時期、植民地化が進む一方で国内の諸制度の整備、インフラ整備、が進んだ。 シソワット高等中学校(リセ・シソワット)もこの時期に設立された。
(4)シソワット・モニヴォン王
シソワット王の息子。
(5)ノドロム・スラマリット王
ノロドム王の息子のひとりであるノロドム・スタロット殿下の息子。息子シハヌークの一時退位にともなって王位につく。
(6)ノロドム・シハヌーク王(少年時)
(7)ノロドム・シハヌーク王(政党活動時)
1955年、王位を父のノドロム・スラマリットに譲り、サンクム(社会主義人民共同体)を組織して政治活動を展開。
(8)ノロドム・シハヌーク王(民主カンプチア時代)
(9)シリク・マタク殿下
ノロドム・シハヌーク王の従兄弟。ロン・ノル首相のもとで副首相となり、クーデターの首謀者のひとりでもあった。プノンペン陥落時にフランス大使館に亡命を求めるが、数日後にクメール・ルージュ側に引き渡され、処刑された。
(10)ノロドム・シハヌーク国家元首(三派連合元首)
(11)ノロドム・シハヌーク(パリ和平会談)

(12)ノドロム・ナリンドラポン殿下
シハヌークと6番目の妃、モニク妃との間に生まれた2人の息子のひとり。兄のシハモニとともにクメール・ルージュ支配下のプノンペン王宮で軟禁生活を送ったが、クメール・ルージュを支持して父王と対立した。2003年、パリで死去。
(13)ノドロム・ラナリット殿下
最初の妃の息子。1976年、エクスアンプロヴァンス大学教授。1986年シハヌーク派軍最高司令官。フンシンペック党首。1993年、カンボジア王国の第一首相となるがフンセン第二首相とするどく対立し、1997年の武力闘争にいたり、国外脱出。その後下院議長。
(14)モニク妃
シハヌークと6番目の妃。父親はフランス人。
(15)ノロドム・シアモニ王

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