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カンボジアに行ってアンコール遺跡を見ることを「アンコール・ワットに行く」と表現する人が少なくない。だが、この言い方は間違っている。「アンコールに行く」というのが正しいのだ。アンコール・ワットはアンコール遺跡を代表する巨大かつ壮麗な寺院遺跡であり、世界遺産にも登録されていることは良く知られている。しかし日本ではアンコール・ワットは有名でも、アンコールそのものは意外に知られていないようだ。ではアンコールとはなにか?ここでアンコールとアンコール・ワットの違いを手始めに、アンコールについてちょっと整理してみよう。 現在のカンボジアは周囲をタイ、ラオス、ベトナムに囲まれたインドシナの小国である。しかしかつてクメール民族(カンボジアの人口の大半を占める)は、9世紀から15世紀にかけて、現在のカンボジアの国土に加えてベトナムの南半分、ラオス南部、そしてタイのほとんどをその領土とする大国を作り上げていった。それがアンコール帝国である。 アンコール帝国の都が置かれたのはカンボジア北西部、現在のシェムリアップ州の州都シェムリアップ周辺、すなわちアンコールの地だった。シェムリアップの北にあるプノム・クーレン丘陵から南の大湖トンレ・サップに至る緩やかな扇状台地には、現在もアンコール期とそれ以前に作られた多数の遺跡が点在している。その広さは遺跡保護地区となっている部分(東はバンテアイ・サムレ付近、西は西バライ西端付近、北がプレア・カン付近、南はアンコール・ワット付近を結ぶ東西に長い地域を中心に、ロリュオス遺跡群周辺とバンテアイ・スレイ周辺を加えた地域。第一ゾーンと呼ばれる)だけで約400平方キロもある。ちなみに東京区部の広さは約580平方キロだ。 有名なアンコール・ワットはこれら遺跡群の中のひとつで、アンコール期を通じて最大最高の寺院にして霊廟である。ちなみにアンコールということばは「都市」を意昧するが、すでに述べたように地域の名称であり、また9世紀初頭(802年)から15世紀中葉(1431年)まで、600年以上の間繁栄した王朝の名(アンコール朝またはアンコール帝国。ただし王たちは実力で登位し、血統の上での連続性は低かった)であり、またその時代(アンコール期)をも意味する。だから単にアンコールというとき、それは地域(=アンコール地域)、政治体制(=アンコール朝)、時代(=アンコール期)のいずれかを表していることになる。アンコール地域にアンコール帝国の中枢機能が建設されたが、その広大な領土内には寺院ばかりではなく、都城、貯水池、道路、病院、宿駅、橋などが建設された。たとえばタイの東北部 (イサーン)にはアンコール期に建てられた多くの寺院が現存している。いろいろ書いたが、アンコール・ワットはひとつの建造物の名前であり、その建造物はアンコール遺跡群のひとつにすぎないということをまず整理しておきたい。 アンコール地域に現存する遺跡群は一時に作られたのではない。現在分かっている範囲でも、およそ700年にわたって連綿として作り続けられた。現在は隣り合わせに立つ遺跡も、同時に建てられたものかどうか、建設年代を確かめなければならない。アンコールを旅する時、いつもこの700年という時間を頭に置いておくべきだ。 |