アンコール・ガイド - アンコールの魅力

 
まず、「雰囲気」です。
大変に豊かで美しい緑の中に、遺跡が存在していて、あたりには静謐な雰囲気が醸し出されています。遺跡そのものも、一部を除けば静かです。時間がゆっくりと流れています。
周囲の金網も柵も、入場券売り場も派手な広告の看板もありません。われわれはただその遺跡に近づいていき、楼門を入っていけばいいのです。

遺跡の多くは、深い森の中のような場所にあります。静謐な雰囲気の源泉はこれらの
「森の木々」にあるといってもいいでしょう。
巨木が多く、その枝振りも緑の深さも圧倒的です。その中にいるだけで鎮まり癒される気配があります。

熱帯の雨に
「濡れた遺跡」の光景も忘れがたいものがあります。
激しいスコールに打たれる石の寺院。雨のあと、たっぷりと水分を含んだ森の中に立つ濡れた遺跡。乾期よりも素晴らしい時期が雨期なのではないかと私は思います。

次に
「色と素材」です。
遺跡は灰色の砂岩、赤っぽい煉瓦、そして熱帯特有の土壌であるラテライトのブロックで作られています。灰色の砂岩はやわらかく滑らかな印象があり、ラテライトは多孔質で硬くざらざらした感じ。煉瓦は両者の中間的な印象でしょうか。こうした複数の素材を組み合せて使用するのがアンコールの構造物の特徴のひとつです。
素材の質感が魅力的です。単一の素材で作るのに比べて、軽快なバランスを感じさせます。石の構造物であるにもかかわらず、やわらかくあたたかく感じます。

「光と影」はアンコール遺跡の美しさの基本的な要素のひとつです。
外は暑くて明るく、あるいは激しくまぶしい。中は暗く、多少ひんやりしている。その両者を結ぶのは回廊や連子窓、楼門などです。連子窓から射しこむ陽射しはアンコールの典型的な光であるといっていいでしょう。
連子窓ばかりではありません。のっぺりとした壁面がほとんどないので、影が濃く、また複雑になります。

「様式」も魅力のひとつです。
ほとんどの遺跡のプランは中心軸に対して左右対象であり、基本的に同じモチーフが繰り返されています。回廊、経蔵、塔、環濠などがその基本的な要素です。
連子窓、急な階段、壁面を埋める肉の薄いレリーフ、アプサラ像、ナーガなども同様に多くの遺跡で見られます。様式が明快なので、いくつかの遺跡を見れば、歩き方もわかってきます。

「木の建物と似た雰囲気」も感じられます。
石でできているのに、木の建物の雰囲気があります。構造にも木の建物の構造に類似した部分が見られます。これは私のアンコールに対する親近感の理由のひとつになっています。

「細部」も特徴的です。
巨大なアンコールワットでさえ、のっぺりとした壁面はほとんどありません。細部に至るまで精緻な細工が施されています。細部を構成するのは単なるデザインではなく、そこに必然的に置かれた理由があるはずです。

かたちには
「意味」があり、特にアンコールのような宗教的な建築物には、細部に至るまでなぜそのようなかたちなのかについて意味がこめられているはずです。
われわれがその意味をきちんと理解していない場合、もちろん無心に「きれい」とか「大きい」とか感じてかまわないわけですが、基本的には意味の体系がかたちになったものが目の前にあるのだということを忘れないことにしたいと思います。

アンコール遺跡では、全体のプランから石の接合面やレリーフに至るまで、あらゆる部分ですぐれた
「技術」を目にすることができます。
シェムリアップ周辺の1000にも及ぶ石造構造物を作り上げるにあたっては、さまざまな技術の開発・蓄積と、それを継承する人のしくみがあったに違いありません。
土木技術に類する技術から工芸技術まで、整えられたしくみが存在したはずで、構造物のそこここに見られる当時の技術が、シロウト目にも興味深く感じられます。

また、ここには
「システム」が存在したという気がします。
まず基本的な宇宙観があり、そこから日常生活の日々の瞬間に至るすべてをおおう、ひとつの体系があった。全体がひとつの論理ないしは思想によって統制されていた。構造物のかたち、その細部、人々の行き方や行動もそのシステムに拠っていた。そのように感じられます。

アンコールは
「水」との関わりが深い文化です。
カンボジア、あるいはインドシナ半島が水と親しいといってもいいでしょう。雨で湿り潤った遺跡とその周囲の森を見るとき、これがアンコールが最も生き生きとする瞬間なのだと感じます。

アンコールはいわゆる古代遺跡ではありません。
アンコールワットは12世紀、シェムリアップ周辺で最も古いロリュオス遺跡群でも9世紀頃です。そのぶん身近な存在で、
「人間くさい」。しかし、激しい熱帯の気候風土のために風化が進んだ遺跡や、森に飲み込まれてしまった遺跡も多く存在します。
倒壊の著しい遺跡では、廃墟の雰囲気がすなわちアンコールだということになります。そのために、なにかおどろおどろしい雰囲気が漂うように思われるかもしれませんが、それは単に風土に対抗するメインテナンスが滞った結果であり、その建物ができた当時を想像すれば、いわば近代的な構造物であったという気がします。

アンコールは、
溶けてゆく遺跡」です。
石の遺跡が、熱帯の過酷な太陽と大量の降雨に繰り返し晒されて、ゆっくりと「溶けて」いるのです。
最も顕著な事例のひとつは、プノン・クロム山頂の遺跡でしょう。かつては明確で精緻な造形を誇っていたはずの三つの祠堂は、今はその壁面を飾っていたであろうレリーフなどの細部を失い、曖昧模糊とした輪郭に囲まれてゆらゆらと立っています。

アンコールに行くということは、失われたものを
「想像力で見る」行為なのかもしれません。
宗教建築は石で作られたので残りましたが、一般の民家は木造だったのでひとつも残っていません。アンコールトムの内部は深い森ですが、かつては木造の民家がたくさんあったのだと思います。
想像力で見るということは、アンコールに限らず、また遺跡だけではなくて、あらゆる外部に対する基本的な姿勢なのでしょう。しかし、膨大な石の累積が暗示する「失われた時間」を前にすると、そのように改めて思うのです。
そして、見るということは、単なる個人の恣意的な想像力に頼るばかりではなく、やはり知識と情報が前提になるのだと思えてなりません。

最後に
「ひとびと」です。
カンボジアの人々は、親切でおだやかです。笑顔がいい。寡黙で、素朴です。今はまだ開発の前夜であり、これからホテルが更に増えて観光客が増加していくに従って、彼らから素朴な笑顔が消えていく気がしてなりません。
そして、その一端を担っているのが自分自身だというのもまた事実です。

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