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カオサン近辺には行ったことがない。正確にいえば歩いた覚えはあるが、昔も今も興味が持てない。しかし楽宮やジュライにいたわけでもない。私が一番長く滞在したのはスリクルンという中央駅脇の運河沿いのホテルで、かつては中の下くらいだった。そこにひとりぽっちでいた。日本人は泊まっていたものの、いわゆる日本人宿ではなく、乾いた関係だった。 部屋はそこそこ広く、午後には駅前の広場で国歌を聴くために直立する人々が見え、裏口からはチャイナタウンにさ迷い出ることができた。 ある日、この宿の1階にあるレストランのテレビに日本で飛行機が墜落したというニュースが流れた。日航123便の墜落の翌日のことだ。 バンコクは今でも私の旅の通過点だが、町そのものに対する興味は失われ、ドンムアン空港から出ることも稀な昨今だ。(2003.7.20) |
パリの街で見かけたポスター。たぶんムフタール街にある女性下着専門店の広告だ。ポスターの入っているガラスケースの表面に町並みが映りこんでいる。
ヨーロッパの色香というやつだ。(2003.7.20) |
経済的・国家的没落の後は長く古典的観光地であり、観光地であることにいささかもたじろがない幻想の都市国家、憧れのヴェネツィア。
住んでみたいくらい素敵なところだった。写真は沈み行くヴェネツィア本島の海面からの高さを測定したもの。島の東端で沈下が著しいことがわかる。木の杭を浅い海底に数限りなく打ち込んでつくった人工の「大地」がゆっくりと沈んでゆく光景自体、示唆的でかつ美しい。最初に行った1977年にはジウデッカのユースホステルに泊まったが、私の泊まるすこし前、そのホステルの収容所のようなドミトリーに深夜、催眠ガスがまかれ、宿泊者の荷物が盗難に遭うという童話のような事件が起こった。(2003.8.6) |
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ステルス爆撃機B2。軍用機のデザインはステルス機の登場とともに変革期に入った。殺戮のための機械が持つ美しさは、美意識の追求の結果ではなく性能と仕様の達成努力の結果だ。 こどもの頃から軍用機が好きだった私は、ステルス機の姿を見たとき実に衝撃を受けた。(2003.8.6) |
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いつも持ち歩いているヘッドフォンSONY
MDR-G73ははコイルを使った小型のもの。デザインと機能がマッチしている。小さくまとまっていて収納しやすいのもいい。しかしそのスタイルは孤高でメジャーにはなりえない。私の愛好する製品は往々にしてそうなのだが。
(2003.8.15) |
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シリコンミュージックの黎明期の1998年に登場した第1号機が韓国製のmpmanだった。メモリーはまだ高価だったし(32MBモデルで4万円、64MBモデルで6万円!)、mp3データを作るツール自体、一般的ではなかった。可動部分がないプレイヤーから音が聞こえてくるという不思議さが最初の印象だった。登場したばかりの革新的技術、革新的製品というのはすごいオーラを放っているものだ。オーラ以外に多少いかがわしい印象も伴っていたmpmanだが、しかし時代を先取りしたのは確かだ。(2003.10.28) |
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最近ケータイを替えた。DoCoMoのSO505isだ。最近のケータイの多機能化はめざましいが、この機種はその最先端を行く。音楽プレーヤー、動画プレーヤー、デジタルスチルカメラ、動画記録。ゲーム機、写真アルバム、バーコードリーダー、時計、目覚まし、TV/DVDリモコン、簡易電子ブックリーダー、インターネット、そして電話。これでDVDからリッピングした動画を見るのにはまっている。ケータイと呼べなくなりつつあるケータイ、恐るべし。(2004.01.24) |
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世界最小のまともなウェブブラウザ付きパソコンといってもいいPHS端末、KYOCERA
AH-K3001V。発売当日に入手して以来2ヶ月、手放しの喜びようである。特にパソコンとシームレスなメールが便利この上ない。これでDoCoMoのデータ通信カードとあわせて移動体通信どこでもOKの3台体制となった私の悩みは深い。(2004.07.17) |
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SONYの超小型デジカメ、U50。最近はいつも持ち歩いている。QV-10の昔からスイバル式(レンズ部が回転する)デジカメばかりを使っている。この良さが分からない人が多いのか、選択肢が少ないのが悩みではある。(2004.07.17) |
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デジタル一眼レフを買った。ポピュラーなD70である。最近ちょっと作品らしい作品を撮りたいと思ったからだ。ファインダーは狭いがそれでもこれまで使ってきた機械から見れば雲泥の差だ。(2004.07.17) |
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