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WWWが現在のように重要な位置を占めるきっかけを作ったウェブブラウザーという発明の中で、初期における最高の成功例であるNCSA
Mosaicが登場したのが1993年で、今年はそれから10年目になるという。そこでウェブ上でその当時のバージョンがないか探してみると画面のエミュレーターがあった(上の写真)。1993年というと、私はパソコン通信を始めて7年ほど経っており、ネットに倦む一方で、ネットコミュニケーションに関するスキルが仕事として成立した時期だ。それから数年を経ずして時代はインターネットへと移行していく。インターネットにはなじめなかった。ウィンドウシステムが嫌いだったせいもある。パソコン通信の想像力に富む内省的な文字だけの画面が好きだったのだ。しかし時代は私の嫌いな方向に進む。モノクロディスプレイは廃れ、ワープロ専用機と親指シフトキーボードの世界は滅び、Macintoshもまた衰退していった。そして私は大嫌いだったWindowsマシンのフルカラー画面を見ながら、ローマ字入力で、最悪のワープロソフトMicrosoft
Wordを使って原稿を書くようになった。(2003.6.5) |
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以前、i-modeサイトを作ってこんなタイトルを置いてみた。ケータイサイトを作ったのはずいぶ
ん前だが、結局やめてしまった。ケータイの狭小な画面が嫌いだったのだ。狭小であるという制約が面白いアイデアや秀逸なサイトを生み出す原動力となりうるのは理解できる。しかしケータイは「狭小」を脱しようとしている。これはよくある実に日本的な発展パターンだ。またケータイサイトを作ってみようか。(2003.6.5) |
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サイト開設以来のアクセス傾向。初期のアクセスの少なさはコンテンツの貧しさの反映だ。アクセス状況を知ることはサイト運営の基本だが、数字の増加を単純に喜ぶわけにもいかない。モンスター級の個人サイトが存在する今、1日数百程度のアクセスではとことんマイナーであるといわざるをえない。唯一評価すべき点は、SARSにも関わらずアクセスが漸増していることだ。アンコールないしはカンボジアなどという
マイナーなテーマでアクセスをどこまで伸ばせるか。これはちょっとした楽しみでもある。(2003.6.9) |
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NASAの撮影した火星の衛星フォボスの映像。このデータをダウンロードした頃、私は普通の電話回線で現在の回線速度の1万分の1にあたる9600bpsのダイヤルアップモデムを使っていた!インターネット上で私が見つけた写真の中で最も好きなもののひとつだ。フォボスの異様な迫力は私を戦慄させると同時に、小惑星マニアとしての私の夢を満足させてくれた。NASAサイトはいまだに私の遊園地だ.(2003.6.15) |
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穂高の涸沢カール(氷河圏谷に)は多くの思い出がある。過去にはそこそこの時間を費やした登山という行為は、今は遠いものになってしまった。しかしカンボジアの原野を走るとき、意識的には登山の延長だという気がするし、登山を通じて身につけた生活技術はいまだに私を助けてくれる。(2003.6.15) |
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イサム・ノグチの設計した札幌のモエレ沼公園は東京から来た者にとっては信じがたい贅沢な空間だった。私たちは平坦な野原を靴を濡らしながら渡り、それから人工のしごく緩やかな小山を、かたつむりのような速度で登っていった。(2003.6.17) |
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2003年2月の北京はどうも暖冬のようだった。八達嶺の帰りに景山公園に登り、そこから故宮を眺めた。観光コースの定番だ。広大かつ巨大な故宮の全体は深いもやに隠されて見えない。行きたいと熱望して来たわけでもない北京の短い滞在は殊のほか好印象を残した。(2003.6.17) |
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1999年秋、最初にアンコールを訪れた旅の始まりはバンコクだった。12年ぶりか、それくらいの久しぶりのバンコクだった。記憶の中のおどろおどろしいアジアの混沌は一掃され、後方集団から抜け出した「中進国」の活気が感じられた。ワット・ボーの寝釈迦のタイ的風貌は私が東南アジアの只中にいることを教えていた。明日行く国・カンボジアに出会うために、町を歩いて私は呼吸を整えた。(2003.6.18) |
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琉球王朝最高の聖地、水平線のかなたにある神の国「ニライ、カナイ」を遥拝する聖なる場所、斎場御獄(せーふぁーうたき)。この地に踏み入る時、乗ってきたタクシーの運転手が「祭壇に祭ってあるものは持ってこないで下さい」と言った、そのことばの響きに懇願のニュアンスがあったのが忘れられない。ここは滅びた王国の記憶が宿る、本当は入ってはいけない場所なのだ。(2003.6.18) |
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夢殿の最上部のクローズアップ。奈良、斑鳩は京都よりも好きだ。廃墟の気配がある。その中でも最も気に入っているのは法隆寺。ここはいまだに古代だ。(2003.6.18) |
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