カンボジア遺跡情報 (あつしさん)

 
あつしさん(kechaps@infoseek.jp)によるカンボジア 遺跡情報です。 なお、infoseekのフォトアルバムに あつしさんによる遺跡の写真「cambodia-prasat(カンボジア各地の遺跡)」とその他の写真をふくむ「cambodia-place&people(カンボジアで行った場所と出会った人々)」があります。
   
PreahVihear州ChoamKhsan周辺の遺跡(2003年12月)
KompongChunang州kompongLeng地区の遺跡(2004年8月)
プノンペン周辺の遺跡(04年8月)
旅の備忘録(2003年12月)
旅の備忘録(2004年8月)
カンボジア南部の遺跡(2003年4月)
旅の備忘録(2003年4月)
道路状況(2002年末時点)
プレア・ヴィヘアへの道(2002年12月)

 
■PreahVihear州ChoamKhsan周辺の遺跡(03年12月)

:Pr.Sema
ChoamKhsan中心部より南西へ5〜6キロ程の水田地帯中のマウンド上に在る。祠堂自体は崩壊し、リンテルと碑文の残る入り口の石組みのみ残る。周辺および遺跡の在るマウンド上には幾つものの未処理地雷有警告の標識が見られる。
N14°11’34.7”
E104°54’12.8”

:Cho Teal Tua
ChoamKhsan中心部より西へ2キロ程。民家の敷地の畑内に有る藪の中に在る。祠堂自体は崩壊し、リンテルと入り口の石組みのみ残る。

:Pr.Kantop
ChoamKhsan中心部より南東へ6〜7キロ程のChhaeh村入り口脇の小丘に在る。崩壊した3基の祠堂と門の跡、そしてかつての周壁及び聖池と思われる跡が残る。

:Trapang Chuck(=TrapeangThalChuck?)
Pr.Kantopから南南西2キロ程行った辺り。レンガ作り。周壁は大半が崩れ、東の楼門もようやくそれ、と判る状態。周壁内部には比較的良く残る祠堂3基と崩壊しかけた経堂らしき物2基。
N14°08’54.5”
E104°59’29.3”
(注・遺跡中心では無く、計測できた至近値)

:Kien Svay Thmey(=Pr.TrapangChuck?)
Trapang Chuckから西南西へ1キロ?程。砂岩作り。構成的、状況的にもTrapang Chuckに準ずる。
N14°08’42.3”
E104°58’33.7”
(注・遺跡中心では無く、計測できた至近値)

:Trapeang Svay Tuoi
Pr.KantopからTrapang Chuckへ向かう道の直ぐ脇に在る。祠堂内部構成物の残骸が数点のみ残る。

:Pr.Sneng Krabei
ChoamKhsan中心部より南西へ8〜9キロ程。砂岩作り。比較的良く残る祠堂が東向きで3基一列に並び、周壁と楼門が半壊半埋没状態で残る。中央祠堂前の階段両脇の地面には、うつ伏せに落下し半ば埋もれたシンハ像。
N14°10’14.7”
E104°52’41.0”

:Komping Puoi
ChoamKhsan中心部より北に5キロ程。完全に崩壊しており、レンガの小山とその中から覗く幾つかの石材が見れるのみ。
N14°16’10.3”
E104°55’54.6”

:Pr.Aban(?) 
ChoamKhsan中心部より北東3キロ程。Pr.Preah Neak Buosへ向かう道の途中に在る。密集した棘だらけの深い藪の中に在る為か、近所の人でも存在を知る人は少ない様。祠堂自体は崩壊し、リンテルと入り口の石組みと幾つかの内部構成物のみ残る。なお、ここのリンテルは他の遺跡とは材質の違う物を使用している様に思われる。
N14°13’48.4”
E104°57’08.3”

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■KompongChunang州kompongLeng地区の遺跡(04年8月)

kompongLengへはKompongChunangの港からボートで30〜40分程。陸路は、雨季は一種の中州島化する為無理。乾季のみコンポントムから行く事も可能。但し、長時間、かなりの悪路を行く事を覚悟の上で。

:Pr.Srei
レンガ作り。東向きの祠堂1基、
西門の石組みと周壁跡。祠堂内には現代の仏像が安置され、そこの集落の小寺院として今も使用されている。

:Pr.Pros
レンガ作り。東向きの祠堂1基のみ。Pr.Sreiから1.5キロほど離れた水田地帯中のマウンド上に在る。Pr.Kaloとも呼ばれている。

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■プノンペン周辺の遺跡(04年8月)

:Phnom Baset(Update)
プノンペンから5号線を12キロ程北上したPrekPnovという町の、その市場通りへ入る形で左折。午前中の早い時間は買い物客等で大混雑してるので注意。その道(未舗装)を1時間ほど、ただまっすぐ進む。途中、左手にアンコールワットなどを模した寺院が2つある。入り口門の四面塔が目印。道を更に進んだ、そこの先に小山が2つ。向かって左が華僑系の寺。右がクメール仏教の寺。右側の山の北側斜面中腹に8世紀頃の遺跡。(参道途中にクメール語案内板有り)西向きの、上半分の無いレンガ作りの祠堂1基。祠堂入り口直ぐ目の前の建屋中には祀られていたであろう神像の一部等が保管されている。そこから西方向の崖まで何らかの構造物の残骸が散見される。西に向いて左手上には後の時代の遺跡のラテライトを流用した?現代の涅槃仏堂。

:AngkorBorei Museam
Takeo州アンコールボレイ地区。Phnom Daの3キロ程手前のアンコール(?)川に架かる橋のたもとにある、AngkorBoreiDistrictHall内。外国人のみ見学料1$。周辺出土品の収蔵庫兼用の展示室(×2)である為、担当係員(が居る時)に申請して見せてもらう。

:Phnom Da
Takeo州アンコールボレイ地区。プノンペンから2号線をTakeo方向へ向かって52kmの里程標を少し過ぎた辺りの左側、大きな周辺地図の看板(クメール語)の有る所から左折。その道をPhnom Cisorを横目に8キロ程直進した辺りに石造の大きな門。それをくぐって最初のト字路を右折。(Phnom Daまで24.5キロとのクメール語看板有り)あとは道なりに直進、総行程3時間の85キロ程。頂上にラテライト製祠堂1基、中腹に洞穴祠堂2基。西の少し離れた中腹にAsram Maha Rosei。外国人のみ見学料2$。

:Phnom Cisor(Update)
2号線をTakeo方向へ向かって52kmの里程標を少し過ぎた辺りの左側、大きな周辺地図の看板(クメール語)の有る所から左折。そこから暫く走ると「CISOR TOURISM CENTER」という看板の木造の建物。その斜め左に有る門を入っていくと、Phnom Cisor南側の正規入り口。東側の、昔の参道方面へは前述の建物を横に見て暫く直進し、最初の橋の少し手前の堤防道路へ左折。あとは遺跡正面を眺めつつ道なりに行けば第1楼門前。2号線からの入り口に有る地図を参考にすると良い。外国人のみ見学料2$。

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■旅の備忘録(03年12月)

12/24〜25
24日、日本発。バンコクに1泊し25日午前プノンペン着。その足でプサートメイ近くのベンラーンへ。そこから乗り合い1BOXでコンポントムへ行き、いつもの宿で1泊。

12/26
朝、コンポントムからトベンミアンチェイへ。去年に比べ路面、道路状況が悪化している。先回の快適さが嘘の様だ。昼前にトベンミアンチェイのベンラーン着。Khonさんの事を聞く。彼は入れ違いでチョアムクサンへ戻ったとの事。次の便はまだ暫く後と言う事なので、大通りまで出て手頃な食堂へ食事しに行く。途中で休憩中のオフロードバイクの一団を見る。何でもオランダのツアーで、プレアヴィヒア寺院を見てきてシェムリアプに戻る途中だそう。ベンラーンに戻りチョアムクサンへ向かう。行程を3分の一ほど進んだ辺りからの路面損壊が酷い場所が幾つも現れる。よく有る過積載トラックによる物だ。そんな中をモトドップ2台に分乗してトベンミアンチェイへ向かう白人女性達とすれ違う。凄い。そうこうするうちに幹線からチョアムクサンへの分岐点へ。そこからのチョアムクサンへの道は劇的なまでに改善、というよりほぼ新しい道が開通してスムーズに到着できた。そしてKhonさんの家に。今回は前回の家族写真などを渡してすぐ傍のゲストハウスに泊まるつもりだったが、なし崩しにまた彼の家に世話になる事になる。荷物をほどいた後、Khonさんと向かいの家のKongさんとで周辺地図を見ながら遺跡位置のチェックや明日からの行動の際の、どの辺りが危険か危険でないか、陽のあるうち、例えば午後4時位までには必ず町の中まで戻って来る事等々の注意を受ける。そして午後9時前、就寝。

12/27
朝、Khonさんと朝食がてらベンラーンになっている町の中心部の十字路へ。見ると、出発を待つ客の中に白人のカップルとやはり白人の眼鏡の男性。そばの食堂で今回の遺跡巡りを共にするモト運転手を紹介してもらう。朝食後、Khonさんは仕事へ、私はモトと共にまずはPr.Semaへ。先の十字路を少し南下し、去年ここに来る時に通った砂地の道を逆走する形で遺跡へ向かう。行程の4分の3行った辺りからバイクを置いて水田の畦道を歩いて行く。周辺には随分と地雷有り警告の標識が目に付く。そして小さくマウンド状になった所に遺跡。そこにも幾つもの地雷の警告標識。それらを避けながら遺跡を見る。崩壊したレンガの小山にリンテルと碑文の残る石組み。町の十字路に戻り(滞在中ずっと休憩拠点にしてた)青空カフェで一服。そしてChhear村に在ると言う遺跡へ。15分程で到着。村の入り口の手前、青空学校の目の前に在る小丘がそうだった。名はPr.Kantopと言うそうだ。3基の祠堂はどれも崩壊しているが石組みや石材の一部は残っており、おおまかな形は想像できる。奥に在る池はかつての聖池だったのかもしれない。周壁らしき物も残っていた。町に戻ってまたカフェで一服&昼食。そして今度はCho Teal Tuaへ。10分も掛からず。近すぎて最初は通り過ぎてしまったほど。町から幹線への道沿いの、ホントすぐ脇に在った。民家の敷地内なのでちゃんと挨拶してから見せてもらう。竹柵に囲われた小さな藪の中に崩壊したレンガの小山にリンテルと石組み
だけが建っていた。主人に礼を言い、去ろうとすると「ここから家の横の道を北にずっと行くとThnal Svayと言う大きな遺跡が在る」という話。それを詳しく聞こうとするともっと詳しい事を知る人を紹介してくれる。その人の話を聞くと片道に2時間以上は掛かる様。迷った末にその人に案内を頼んでそこに向かう。砂地の、バイクを降りて歩いた方が速いかもしれない道。Neak Buos行きを思い出す。それを苦労しながら進むが途中の、1時間半程進んだ辺りの川で立ち往生。水量多く水深深く川を渡れず。案内者曰く「来た道を半分戻った所の分岐を左の方の道を行けば橋が在って、川が渡れる。でもかなり遠回りになるが。」それを聞き、今回は諦め町へ引き返す事にする。遺跡が見れても確実に帰着が日没後になってしまうリスクは犯せない。後日の再アタックを期す。なんとか日暮れ前に町に帰着。案内者に謝礼を渡し、宿に戻る。

12/28
本日はPr.Sneng KrabeiとKomping Puoi含む北の方へ。朝7時の出発前に家のマダムに行き先を聞かれてそう答えるとマダムより「Sneng Krabeiの方はいいけど北の方は、特に国境に近い方は気をつけなさい。本当に危ないから。」という意味の注意を受ける。適当に返事をして出発。途中までは昨日のPr.Semaと同じ道を行くが、それを過ぎた辺りの分岐を左折。そこから先、道が幾つもに分岐しており、そこを行きつ戻りつして何度も迷う。だが幸運な事にその都度田畑や仕事場に向かう人達に会う事ができ、彼等に方向や場所を聞きながら進む。
そうやって森の中の道を彷徨い行く事3時間程、なんとか辿り着く。遺跡の周辺は開拓、伐採がされていて全体が良く見渡せるが遺跡の周壁内部は背の高いススキ様の草が茂ったままで歩きにくい。その周壁も大半が崩れ楼門も半壊状態。本体の祠堂は3基。東向きの砂岩製。真ん中の祠堂前の階段両脇にはシンハ像がうつぶせに落下している。そして遺跡を少し離れた所に、この周辺を伐採している樵達の小屋。彼らの小屋で少し一服させてもらい11時頃町へ戻る。行きは3時間近く、帰りは30分(苦笑)。いつものカフェで一服&昼食。13時少し前に北の方へ出発。路面、町に近い方は砂地だが、町から離れるにしたがって赤土の締まった
路面になってくる。いつもの様に付近住民に遺跡の有無や位置を聞きながら進む。その際にKocho Komborと言う遺跡や山に近い方、国境のアンセイ付近の幾つもの遺跡の話を聞く。その為先にそちらの方へ向かう。路面状況は良いが、途中橋が落ちていたりする箇所があり、厄介。そうして国境方面へ近づくにつれ道の両脇や森の中に地雷警告の標識や赤ペンキの
マーキングが目だって増えてくる。場所によっては1mの間隔も無く20本以上の地雷有標識が並んでいる所さえ在る。ウンザリを通り越すほど。国境付近でいろいろ遭った為、あちら方面とKocho Komborと言う遺跡は見る事を諦め、Komping Puoiへ。付近の住人に場所を聞き、遺跡近くの農家の人に案内して貰う。だが、遺跡は完全に崩壊しており、まばらな藪の中のレンガの小山と化していた。案内してくれた農家の人にお礼とついでに家族のインスタント写真を撮って渡す。そしたらドブロクを一杯御馳走してもらう事に。甘口で意外に飲みやすい。でも強め。その際にこの農家から東南東1.5キロの辺りにTrapeang Thnalという遺跡が在ると言う話を聞く。詳しい場所を教えてもらってそちらに向かい、その近くの農家の人に遺跡の事を聞く。するとすぐそばの丘を指差し、「あの森の中」と言うので出来たら案内を、と頼む。あからさまに嫌な顔をして、さっさと行けとばかり先と同じジェスチャーを繰り替えされる。仕方無い事だろう。最終的に好意的に接してくれた人達も含めて彼等にとって本来、私は不審な闖入者に過ぎないのだろうから。結局モト運転手氏と手分けして何度も森の中を捜し歩くが見つからず。その際に危うく地雷を踏みそうになった為、歩いてきた道を出来るだけなぞって戻り、モト運転手氏を呼び戻し、午後4時頃、町に戻る。いつものカフェでガックリしてると白人4人を乗せたカムリが到着。聞けば今日早朝にシェムリアプを出発しアンロンヴェン、プレアヴィヒア寺院麓村を経由してチョアムクサンに来たそうだ。路面状況は全く問題なかったとの事。しばし彼等と話して気分転換してから家に戻る。するとマダムに呼びつけられ、「アンタは!、私の注意をちゃんと聞いてなかったでしょう!」とキリキリと説教をされる。どうもモト運転手氏が国境付近での出来事を話したらしい。あぁ、ジェットコースターの様な1日…。

12/29
朝、目の前の市場で朝食。その際に昨日の白人達と遭遇。これからプレアヴィヒア寺院を見に行くとの事。彼らを見送った後、テーブルに同席した老人からフランス語で話しかけられる。だが、こちらは極々簡単な日常会話しか出来ず。結局、翁はクメール語、私は英語で通訳を介して話す。そしてこの辺りの貴重な昔話を教えてもらう。翁に礼を言い、8時にTrapang Chuckへ。途中、Chhear村で遺跡までの案内してくれる人を捜して頼む。彼の案内で遺跡へ。Pr.Kantopを正面に見て左がChhear村、右がTrapang Chuckへの道。その道を暫く行った道の左脇にTrapeang Svay Tuoiという小さな遺跡。と言っても像の台座やヨニの残骸が在るだけだが。Pr.Kantopから道を10分程行った辺りで牛車道へ右折。そこを200m少し行った辺りからはバイク置いて徒歩で水田の畦や林の中をしばし行くと遺跡。結構大きい。だが薄暗い林の中の為、GPSも効かず全体の状況も把握しきれない。周壁は大半が崩れ楼門も半壊。内部には比較的きれいに残る祠堂3基、半壊の経堂らしきもの2基、と何かの建物跡か?
西側に草に覆われたレンガの小山。ここで、案内人よりこの近くに在るもう1つの遺跡の話を聞き、薄暗い林や2m近いススキ様の原の中を歩いてそこへ向かう。だが、伐採の手が入っている為に案内人の知る目印が無くなっており、彼も一時的に迷うが何とか辿り着く。同様に薄暗い林の中。見たところTrapang Chuckの砂岩作り版。Kien SvayThemyと言うそうだ。ここでまたもう1つの遺跡の話を聞く。今度はここから北北西?へ5キロ以上歩くとの事でさすがに挫ける。Trapeang Svay Tuoiからなら西へ3キロくらいとも言われるが気力続かず。Chhear村まで戻って案内人に謝礼を渡し町へ戻る。その際、モト運転手氏の知人だというPr.Kantop前の青空学校の先生と同道。途中、私だけ降ろしてもらいCMACの、民家の畑内での地雷探査作業を少し離れた所でしばらく見学させてもらう。昼、いつものカフェで一服&昼食。そこで先の先生と話す。一部の人には耳の痛いかもしれぬ話も聞かされる。13時頃Pr.Abanへ。町の中心部を少し離れると、ここ本来の深い砂地の道。それを北東へ3キロ程。いつもの様に付近の住人に遺跡の事を聞いて回るが「知らない」と言う答えばかり。ようやく知ってる人に会え、場所を教えてもらう。そこは密集した棘だらけの藪で、遺跡はその中に在った。崩壊したレンガの小山にリンテルと石組み、何かの台座と付柱?の残骸。これで今回の遺跡巡りは終了。

12/30〜04/1/1
朝、Khonさんの車でトベンミアンチェイへ。その車中で北島三郎や細川たかしの歌を流してみる。他の乗客にも意外にウケる。昼前に着。コンポントム行きは全て出払った後。向こうからのタクシーも今はいない為、Khonさんと一緒にこの前の食堂で昼食&来年の再会を願っての乾杯。とはいえKhonさんはコーラで私だけがビール。その後ベンラーンに戻るとコンポントム行きがいたので、Khonさんと再会を約してそれに乗り出発。途中、まるでモトクロスかレース場から抜け出てきたかの様なオフロードウェアと真新しいオフロードバイクの一団とすれ違う。この前と同様にどこかのツアーだろうか?。しかし、ものすごく浮きまくり目立ちまくりで余計な心配をしたくなるほど。タクシー内も「あれは何事?」と一時彼等の話題で持ちきり。…この辺りから食べ過ぎか飲み過ぎなのか体調不良に。結局コンポントムに着くまでに2回ほど嘔吐し、いつもの宿に着いた途端寝込む状態に。そのまま31日の午後までバッタリ。またもやPreah Khan KompongSvayへの再訪は成らず。1/1の朝には大体回復したのでプノンペンへ。昼頃着。いつもの宿に入り、また寝る。

04/1/2〜3
2日朝、プサートメイ近くのホワジェイテングのバス乗り場へ。タケオ行き始発に乗りタケオヘ。9時半頃着。Phnom Daへ行く為にボート乗り場に行くが、運河の水量が足らず行けないとの事。モトドップで陸路で行くことにするが、これがなかなかのアドベンチャーだった。バイクの幅と同程度の堤防道やそれより狭い畦道を延々とPhnom Cisorのかなり近くまで北上してからまた南下するというルート。Phnom Daまでタケオから2時間。疲れた。アンコールボレイからPhnom Da間では何やら道路の造成工事。何でも雨季でも確実に車で来れる様にする為だとか。で肝心の遺跡。やっぱりデカイ、威圧感が凄い。知識として知ってはいたけど実物を見ると実感する。やはり「百聞は一見にしかず」だ。Asram Maha Roseiは思っていたより小振りな
遺跡だった。そしてその前から周囲を見ると先の道路の延長路なのか、Phnom Daから南へとまっすぐに、地平線まで続く道。帰りは来る時のルートがPhnom Cisorのかなり近くまで来ていた事からPhnom Cisor経由で帰るルートを試してみる。案の定Phnom DaからPhnom Cisorまでさほど悪くない道を1時間程度。これならPhnom Da行くのにわざわざタケオまで行く必要無し。Phnom CisorとPr.Neang Khmauをセットにしても充分プノンペンからの日帰りコースだろう。帰りは2号線まで出て、またホワジェイテングのバスでプノンペンへ戻った。3日、日本へ帰国。

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■旅の備忘録(04年8月)

8/8〜10
朝日本を出発、バンコク経由で夕方プノンペン着。今日までの過労からなのか、バンコクに着くあたりから気分が悪くなり、プノンペン空港に着いてヴィザの申請した後でそばのトイレでついに嘔吐。一時的に動けなくなる。その後なんとかイミグレを通過しいつもの宿へ。チェックインした途端部屋のトイレに直行。10日まで行動不能になる。
8/11
ようやく回復。だがおかげで本来の目的のバッタンバンの遺跡巡りは出来なくなってしまったが。本日はプノンペン郊外のPhnom Basetへ。何度か来ているのに遺跡の存在に全然気付かなかった。恥ずかしい。とはいえ地元でも知る人ぞ知るという存在らしい。目立たないながら案内板も有るのだがこの日、直ぐ上の寺には他に何組もの観光&参拝客がいたのに、私がいた1時間ほどの間、他の客は誰一人来る事がなかった。
8/12
本日はPhnom Cisor経由Phnom Daルートの再確認。朝7時、なじみのモト運転手とプノンペン発。Phnom Daまで、途中Roviengでの朝食含め3時間弱。84.5キロ。造成中だった道も完工し、来やすくなった?。Asram Maha Roseiの前はコンクリ製階段の延長、横には1月には無かったベンチが設置され観光地としても整備が進んでいるようだ。そこから南への道は所々水没して寸断されていた。Phnom Daを辞しAngkorBorei Museamへ。場所は地区の役場の中と聞き、訪ねるが担当不在。帰ろうとした時に担当が出先から戻ってきたので展示室を開けてもらって見学。それなりに堪能した後、Phnom Cisorへ向かう。Phnom Cisorでは東正面の参道階段を上って寺院へ向い南の新参道より下りる。その際に気付いた事は旧参道の上りきり間際の石のグラつきと、見学料取られた事。02年春の時点では払った覚え無いのだが。次はPr.Neang Khmauへ寄ってから帰途に。途中Roviengで遅い昼食。その時にモトよりCTNというTV局でカンボジア国内各地の観光地、それもマイナーな遺跡までを含めて紹介すると言う番組を放送している、という話を聞かされる。…むっちゃ見たい。更に帰路の途中、ノロドム通りで真新しい大型バスのパレード。何でも6だか7社目の長距離バス会社のお披露目だとか。16時前、宿へ帰着。そこで他のモト運転手からPhnom Daの南西、PhnomAngkorBoreiにも遺跡が在るという話を聞かされる。次回要確認。
8/13
ホワジェイテングの始発バスでKompongChunangへ。バス内の広告板に新路線開設のお知らせ。プノンペン7時発クラチエ行き1万8千リエル、7/21より、だそうだ。ウドンの町(観光地のPhnom・Udongkとは別)での一時休憩を挟み、KompongChunangへは2時間ほど。Pr.KompongPreah行こうとして流しのモトドップを拾い、そう言ったはずなのに何故かKompongChunangの港へ。アレ?と思うが、下調べをちゃんとしてなかった事と「遺跡は川を渡った所に在るよ」と言う言葉と、どこかでのそういう情報に覚えがあったので逡巡の末、川を渡る。着いた先はkompongLeng。…確かに遺跡の在る地区だけど。来ちゃったものは仕方ないと遺跡へ向かう。道路状況は良好。のんびり田園風景や村の家並びを眺めながら走る事50分程。途中からいったん小道に入り遺跡の在る小集落へ。Pr.Sreiと言う遺跡の中には仏像が安置され、その基壇の脇には僧侶達の住む建屋。この小集落の鎮守様といった位置付けの様。見せてもらった礼を言い次へ。再び幹道に出てからまた直ぐに小道へ。途中からバイクを置いて水田の畦道を10分程歩いた先のマウンド上に遺跡。名はPr.Prosというそうだ。その周りは放牧中の牛だらけ。その内の1頭に急に後ろからどつかれビビる。そばの水田では田植えの真っ最中。また幹道に出て更に次へ。この地区の真ん中を占める山麓を1周する形でkompongLengの港近く?まで走った辺りの山の中へ。そこにも遺跡が在るらしいのだが、有ったのは廃棄された?バラックだけ。いつか再確認要だろう。そこから港へ向かい始めた頃スコール襲来。港に着く頃にはやむが、私はびしょ濡れ。暫し体と服を乾かし14時近くに
KompongChunangに戻る。バス乗り場横の店で昼食。この店、盛りが良い。大満腹。15時発プノンペン行きに乗る。発車して暫くしてから運転手が音楽テープを流し始める。内容は日本の演歌のカンボジアアレンジ?版。乗客の大半がそれに合わせて一緒に口ずさむ。私も(笑)。外は激しいスコール。そんな帰路の道すがらタクシー同士やモト・ルーモーとの交通事故を5件目撃。うへぇ。
8/14
帰国便の出発時間まで博物館へ。展示物の入れ替え?や構成の変更が行われた様だ。Pr.Neang Khmau出土の「黒い貴婦人」像含む幾つかの像が見られない。個人的には先史時代の展示が時計回りの反対側に移動され、それらや環濠集落の詳細な説明板も撤去され、ぞんざいとすら言える扱いになっていたのが残念。午後、プノンペン発バンコク経由。翌朝、日本着。

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■カンボジア南部の遺跡(2003年4月)

:Prasat Bayang(Prasat Bayang Nokor) 

タケオから2号線をベトナム国境方向へ53km(モトで2時間弱)、Kirivong地区に有る丘陵の中の1つ、プノンBayangの頂上に在る遺跡。7世紀初頭に最初のレンガ造りの祠堂が建てられ、12世紀初め頃までラテライト製の参道階段、外周壁等の増改築が行われたらしい。
行き方は、まず2号線をKirivongまで行き、そこから丘陵麓沿いの道へ右折して左手に現代の寺院が見えたら、村人に遺跡への登り口がどこに有るか聞く(登り口の目印になる物が全く無い為)。それを見つけたら村人の案内で山中の畑道や岩肌を縫う様に山を登る。3分の1登った辺りに巨石を御神体にした祠(ネァック・タ)。(ちなみにプノンBayangは巨石奇岩の地であり同様の祠や付近の村人達の墓が幾つも有る、信仰の山でもある。)更に3分の2まで登った辺りに広場状になった所。そこから急なラテライト製の参道階段を上がりきると遺跡。なお、そこから西へ尾根伝いに数百mほど行った辺りにも遺跡が有る、と案内されたが大きなネァック・タの祠が有るだけで遺跡は確認できなかった。そこからはコンクリ造りの階段が設けられているが麓近くでそれは終り、後は山中の細道を歩いて降りて行く。

:Ba Phnom
プノンペンから67Km程、モトではフェリーの渡河含め3時間弱。フナンの聖山だった、そしてその西から北の麓にかけてNokor Phnomという都市が在った、と言われている。行き方は1号線を東進、メコン川を渡って数キロ先の最初の大きなT字路を左折。暫く行くと左手にクメール語と英語で“WELCOME”と書いた小さな木の看板。そこのT字路を右折。山を回りこむ様にその道を暫く進んで大きな学校が左手に現れたら、左側に注意しながら少し行った
辺りにクメール語のみのゲート。そこに左折して入り直進すると旧登り口。そこから右折して進むとPreah Vihear Channと現代の寺院(売店有り)。

:道路状況(03年4月末)

*1号線(スヴァイリエンまで)
以前改修されたが再び路面に細かな波打ちが出来ている。車は良いがモトには少しツライかも。メコン川を渡って川辺の町を出た辺りからBa Phnomへの分岐を過ぎる辺りまで、道路改修工事中の為の砂利道。他は何ヶ所か工事箇所あるが良好な舗装路。
*2号線
タクマウを過ぎた辺りから拡幅を含めた道路工事を複数箇所で施行中。ただ、改修工事中箇所の路面が土のままの場合、雨が降ると非常に滑りやすくなるので注意。実際にスピンし、道から飛び出してしまった車も目撃。タケオからベトナム国境までは洪水により道路表面の損壊が激しいガタガタ道。(途中にはまともな舗装が有る場所もあるが)

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旅の備忘録(2003年4月)

:4/26
仕事が当日朝まであった為、徹夜状態で日本を出発。まずはマレーシア経由バンコク行き。機内では殆ど眠れないまま、夜遅くバンコク着。そこで1泊。
:4/27
泊った宿でも何故かあまり眠れず、朦朧としたまま、朝、バンコクからプノンペンへ。ポチェントン空港に着いてからは、モトで市内の宿へ向かう。宿の前まで来た時、馴染みのモトがいたので、彼と翌日のBa Phnom行きを簡単に打合せて昼前、宿にチェックイン。部屋に入り荷物投げ出してベッドに横になると、ほっとしたのか途端にブラックアウト。次に気付くと既に21時過ぎ。食事に出るには遅く、仕方ないのでカ○リ ーメイト1箱を水で流し込み、また寝た。
:4/28
朝起きて近くの食堂で朝食。8:15にBa Phnomに向け宿を出発。1号線、一時期はすごく
良かったが、また路面のうねり、波打ちが出来つつある。そういう部分、車はともかくモトにはツラく、速度が出せない。10時頃メコン渡河地点着。渡し賃、一人800リエル。対岸、プレイヴェン側に渡る。こっちの方が規模が大きい。そこからは砂利道。そして1号線からの分岐道に入って暫く行くと左に目印の小さな木の看板。ボ ーッとしていて、その写真撮り忘れる。帰りに撮る事にしてそのまま進む。11時頃Ba Phnom着。コンクリ造りの階段を100m以上登って見晴らし小屋へ。見渡すと遺跡をうかがわせるものは無し。ただ地面からいわくありげなレンガが幾つも突き出しているだけ。暫しそこで休んでいると、すぐ傍の寺院の人が
昼寝しにゴザ抱えてやって来たので、その人にこの辺りの話を聞く。曰く「大昔、この山の西の麓から北の麓にかけてNokor Phnomという大きな町が在った。でもカンボジアの国が生まれた時に壊された。残った建物も他所の建物に使われたり、洪水で崩れて地に埋もれ、何も残っていない。」その後、見晴らし小屋から元来た道を戻ろうとすると件の人、寺院の方からの道の方が楽だし下に遺跡も在ると言うのでそっちから下る。長いけど緩やかな階段。観光客は普通はこちらから登るものらしい。下に降りて右手を見るとPreah Viher Channという遺跡。覆い屋が架けられ地面はコンクリ固め。風情無いなぁ。暫くそれを見てから他に無いか、村人に聞きながら付近を動き回る。見付からず。そうこうするうちにBa Phnomをほぼ一周しバナム村近くまで来てしまい、結局あきらめて帰途に。来る際の目印用写真も撮れず。途中スコールに遭い、最寄の軒先に1時間程避難。夕方、宿に帰着。
:4/29
寝過ごし7:30頃に乗合タクシースタンドへ。スヴァイリエン方面行きに乗るが、タクシーは更に客乗せようとうろうろ。結局出発は8時頃。渡河地点まで1時間程。次まで時間あるので屋台の甘味を食べていると、後ろに視線感じたので振り向く。いかにも日本人なバックパッカ ーがじっと此方を見てたので日本語で挨拶。その人、信じられない物を見てしまったという顔をしてそのまま回れ右。某GH発のバスに乗り込み二度とこっち見なかった。…一体何だったのか。暫くして渡河。一路スヴァイリエンへ。道が良く、着くまでずっとうたた寝。10時半過ぎに着。そこからモトでRomduol村へ。着いてからモトを通訳にして遺跡が無いか聞きまわる。「無い」という返答ばかり。移動しながらそうこうしてるうちに何やら人だかりに。その中に英語喋れる人がいて、その人に昔に詳しい老人を紹介してもらうが、曰く「昔は有った。今は無い」。それでも諦めきれずに聞いて回るが、さすがにモトの表情が、あきれ顔からムッとした顔に。ついに諦めて町に戻る。戻ると既に14時近く。モトに代金払い市場脇の食堂で昼食。更に茶屋で、これからどうしようかウダウダ考えているとスコ ールが来た。それを見ながらふと「…Basakに行ってない」と思い出す。が、もう時間も無く、そのままプノンペン行きのタクシーを探して帰る。
:4/30
本日は航空券のリコンファーム、地図の購入や資料探し、衣類洗濯してた以外は無しで、後は寝ていただけの休日。
:5/1
朝7時発のタケオ行きバスに乗ろうとプサートメイのバスターミナルに向かうが、僅かな差で乗り損ね。待合所の軽食コーナーで朝食。8時発に乗りタケオへ。途中パンクやらエンスト起こしながら10時半過ぎにタケオ着。そこから2号線を南下、プノンBayangへ2時間弱。その麓に着いてから村人に遺跡がどこに在るか、どうやって行くか聞く。意外に知らない。何度か違う場所を教えられた後でようやく本当の登り入り口へ。そばの農家の人に案内してもらい遺跡へ。獣道の様な細道と岩肌をヒィハァ言いながら休み休み、縫う様に登る。途中幾つものネァック・タの祠と畑と土盛り。あの土盛り何、と聞くと「墓」と。3分の2程登るとラテライトの階段。登りきった踊場状の所に堂守の老人達の小屋。そこから少し上がり遺跡本体へ。しばらく遺跡を見てから次の遺跡に行くぞと農家の人。遺跡の下脇を蟻にひどく噛まれながら尾根伝いに数百m行く。しかしそれらしいものは見当たらず、どでかいネァック・タの祠だけ。そのまま下山へ。そこからはコンクリ造りの階段が設けられている。遺跡はともかく、こっちの祠はかなり地元の人の往来が在る様。ただ、その階段、麓近くまでで途切れ、結局は細道を歩いて登り入り口まで戻る。案内してくれた人の家で少し休憩、タケオに戻
る。戻ると、その日のバスの便は既に終っており、乗合タクシーを探して帰る。
:5/2
早朝起きて朝食。その後、宿のPCを借りてネットチェック。(は)氏の伝言を見つけ、最初はネット電話を使うが(国際電話高いから)回線混雑でまともに繋がらず。普通の電話で掛け直し連絡つく。正午に博物館で会い、以後の時間は(は)氏と過ごす。
:5/3
朝起きてTV点けてCH変えながら見ていると、その1つでユネスコカンボジア製作のプレアカンコンポンスヴァイの国内向け紹介番組、か?。それを見ながらだらだら帰国準備して空港へ。バンコク〜マレ ーシア経由で帰国。5/4の朝に一日がかりで着。これで今回の旅は終り。
(2003.6.1記)

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■遺跡情報(2002年4月)
 
プノンチソー
2号線をタケオ方向へ向かって52kmの里程標を少し過ぎた辺りの左側、カンボジアと日本の国旗をあしらった英語とクメール語併記の小さい看板。そして大きな周辺地図の看板(クメ ール語)の有る所から左折。そこから暫く走ると「CISOR TOURISM CENTER」と書いた木造の建物。その斜め左に有る門を入っていくと、プノンチソ ー南側の正規入り口。東側の、昔の参道方面へは前述の建物から見て逆ト字路を左折。2号線からの入り口に有る地図を参考にすると良い。

プノンバサット(バセット?)
プノンペンから5号線を北上しPREK PNOVという町で、その市場通りへ入る形で左折。午前中の早い時間は買い物客等で大混雑してるので注意。その道(未舗装)を1時間ほど、ただまっすぐ進む。途中、左手にアンコ ールワットなどを模した寺院が2つある。入り口門の四面塔が目印。道を更に進んだ、そこの先に小山が2つ。向かって右が華僑系の寺。左がクメール仏教の寺。左の方にはアンコ ール期のリンテルが残っているという話。私は見ていない。

ロヴェック(ロンヴェック)
プノンペンから5号線を57キロほど。コンポンチュナン州境を過ぎてから暫く行くと、右手に何やら大きな土手(城の周壁跡?)。左手に何やら大きな施設が在ったらしい壊れたコンクリ ート塀の跡。その付近の道沿い右側に「TRARENG KENG PAGODA SITE」と書かれた小さい石造りの標識が立っている。そこを右折、5キロ先。

クラチエ
プノンペンからコンポンチャム経由、スピードボートで4〜5時間。料金は02年4月末時点では片道8$。プノンペンでの発着は02年4月末時点ではチュロイチャンワ ー橋北の船着場だったが、02年末時点では、アンドゥオンとシソワット通りの合流地点の川沿いに在るシェムリアプ行きと同じ船着場に発着場所が統合された様子。陸路に関してはコンポンチャムからピックアップが出ているがお勧めせず。

ストゥントレン
クラチエからスピードボートで乾季は5時間ほど。運行は隔日で料金は02年4月末時点では片道8$。なお、コンポンチャムからもスピードボートの便が有るそう。料金は02年4月末時点では片道16$、プノンペンから飛行機の場合、ロイヤルプノンペンエアウェイズのみが就航。直行便は無く、全てラタナキリ経由。陸路に関してはクラチエやコンポンチャムからピックアップが出ているが、お勧めせず。大変な悪路、外国人旅行者を標的の強盗の噂も未だ消えず。ここからタラボリバット行きの渡し船は料金800リエル。02年4月末時点ではラオス国境は外国人は通行不可との事。

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■道路状況(2002年末時点)

5号線
プノンペンからコンポンチュナンまではそこそこ良好な舗装路。コンポンチュナン〜ポーサット〜バッタンバン間は未舗装路。だが、各所で改修、簡易舗装化の道路工事が行われており、それほど路面状況は悪く無くなっている。一番悪かったのは町中や各市内を通過する時のそれだった。バッタンバン〜シソフォン間は舗装路。だが道幅が狭いうえに大小の穴だらけの厳しい道。

6号線
シソフォン〜シェムリアプ〜コンポントム間の路面状況はシェムリアプ市中心部だけを除き、シェムリアプ州境までが道幅が狭く大小の穴と路肩の損傷がいまだに多い、厳しいガタガタ道。だが、シェムリアプ州境を過ぎコンポントム州に入ると急に道幅が広くなり、路面も簡易舗装された良好な道に。州境からコンポントム市内までに何ヶ所か道路工事個所は有るが問題ない道。コンポントム市内からコンポンthmaまで多少路面悪くなるが、そこを過ぎると一部再改修工事個所や橋の建設工事中は有るものの、プノンペンまで、また良好な道。

コンポントム〜トベンミアンチェイ間
未舗装ながら路面状況は問題無し。ただし、トベンミアンチェイの在る台地へと上る坂道の路面だけがガレ場状でキツイ。トベンミアンチェイ市内も随所で道路の改修工事中。余談だが、コンポントムとプレアヴィヘアの州境は夜になると柵で塞がれ検問が行われている。注意。

トベンミアンチェイ〜Prasat Preah vihear&Choam Khsan間
トベンミアンチェイ市内からのと、Prasat Preah vihearからのそれぞれ10数キロほどが未舗装ながら整備された良い路面になっているがあとは、砂地の道になる。が、状況はそれほど悪くない(乾季は)。この路線もゆっくりながら、随所で道路整備の工事が進行中。Choam KhsanへはトベンミアンチェイからPrasat Preah vihearまでの行程を、3分の2ほど行った辺りの分岐から右折。大半が深い砂地の路面の悪路。途中、雨季は河床になると思われる箇所や湿地帯中の渡河も有り。雨季の訪問は避けた方が無難と思われる。なお、ゲストハウスは2軒。SoksanとHengHeng。前者の方が外国人向きか?

Preah Khan kompongsvayへの道
コンポントムから64号線を北上、モトで2時間弱、車だと1時間強でプノムダイ。ミニバスやタクシーの停留所にもなっている食堂を少し過ぎた辺りで左折。そこから砂地の悪路を30数キロ。途中2ヶ所の川渡りを経て2時間弱で最寄の村Ta Seng。尚、このル ート、車はほぼ無理。トベンミアンチェイからは64号線を36キロ程南下した辺りに「Welcome Preah Khan Temple Site →56Km」と書いた木製の案内板。そこを右折。このルート、距離的にはコンポントム〜プノムダイルートより短いが、道路状況は更に悪し。行程の5分の2は過積載の木材運搬トラックによる路面損壊が酷い。そこにはアップダウンの山道も含む。 それが終ると深く柔らかい砂地の道がTa Sengまで続く。車は4WD車でも厳しいと思われる。いずれも雨季の訪問は避けた方が無難or無理かと。

「02年4月末時点ではラオス国境は外国人は通行不可。」
と、書きましたが、オフレコの話として(しかし、泊ったホテルの従業員の話によると、賄賂次第と言う話。実際に賄賂を渡して通過する、してきた旅行者が何人もいる。だが、そういう手段で通過しようとしてトラブルを起こした旅行者も何人もいる、との事。)
と、書いたはいいが、もうよしむらさんが“カンボジアとラオスの国境:想像通り賄賂が待っていました。”と書いちゃってましたね。

1月末の暴動で思い出したこと
プレアヴィヘア寺院に残っている内戦時の政府側陣地の説明を警備兵?達に受けていた時、彼らはタイ領の尾根を指差して撃ち合う仕草をしながら「ここでタイと戦っていたんだ」という事を言ったので、ポト派の間違いじゃないの?とツッコンだら、あからさまにムッとした表情になって強い調子で「ノ ー、ポト!(撃つ真似して)タイラン!」と言い返されました。ただ、それだけの話ですが。

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■プレア・ヴィヘアへの道(2002年12月)
Preah Vihear寺院と、前から言っていたNeak Buosに行ってきました。
まずKg.Tomまで行き、そこからTbeng MeanCheyまでピックアップで2時間半ほど。道の状況はTbeng MeanChey手前の山登り以外問題無し。Tbeng MeanCheyのベンラーンでChoam Khsan行きピックアップに乗り換えるのですが、そこへの直行便は無いようです。まず山上のPreah Vihear寺院のすぐ麓にあるPrasat Preah Vihearという集落(ややこしい..)へまで行ってからChoam Khsanに向かいました。
道の状況ですが、Tbeng  MeanCheyからPrasat Preah Vihearまでは砂地とはいえ、幹線道路ですのでそこそこ速度も出せ、途中からは観光用に改修された快適な道“も”通り、4時間程度。
そこからChoam  Khsanへは来た道を3分の1程戻り、幹線からの分岐に入りますが、そこからは「...スゴイ」です。フカフカの砂浜の様な道です。湿地帯の川渡りまであるなど、まるで冒険気分になれました..。Choam Khsanには陽が沈みかけた頃に到着。丸一日がかりでした。

翌朝7:30にPreah Vihear寺院へモトで出発。
麓の村には11;30着。そこから登山口まで20分程歩き、山を登り始めるのですが、最初は重機で無理矢理作った急勾配の広い道、その終わりに休憩処があり、そこから本物の登山道を2時間近く登って遺跡へ。
でも登っただけの甲斐ありました。現地の人以外、客は私達2人だけで貸切り状態。堪能しました。そして来た道を逆戻りしてChoam Khsanへ。なんだかんだで帰着は21;00近くでした。

朝8:00に本来の目的地Prasat Neak Buosへ。
全くの牛車専用道を9km、2時間かけて進む。途中、後方より来た遺跡近くに住むという人の牛車に好意で乗せてもらう。彼の家からその案内で遺跡へ。その際、同じ敷地にある駐在所の警官達(というより屯田兵?)も護衛と称して付いてくる。
そこから草原と林の中を歩く事30分、最初の遺跡に到着。思っていたより大きな遺跡。
Kuha Nokorより規模大きい様だが、木や草が繁茂していてはっきりとわからない。付いてきた警官の言によれば、「この上、山をかなり上がった所にもっともっと大きい遺跡がある。でも行くのはとても大変だ」との事。
そこから更に歩いて、あと二個所、計3個所の遺跡を案内してもらった時点で前日の疲れからか、熱中症?でダウン。行動不能に。もう2つほど案内する遺跡があったそうだが、そこで終わりにして駐在所に戻り回復するまで少し休ませてもらってから帰途に。
泊らせて貰っている家に戻ると、翌日夕まで寝込む羽目になり、他の調べのついた遺跡をついに見れぬままChoam Khsan滞在は時間切れ。計4日間の滞在でした。

朝7:30にピックアップでChoam Khsan発。
帰りはTbeng Meancheyに直行。11:20着で3時間。また車を乗り換えKompong Thomへ。途中、Tbeng Meancheyから30km程Kompong Thom方向へ行った所にPrasat Kompong Chey?なる遺跡?あり。
で、Kompong Thomに着。泊ったホテル前のモトと翌日のPreah Khan Kompong Svay(Prasat Bakhan)行きの話をしてその日を終えた。

Kompong Thomをモトで7:00出発。
Preah Khan Konpomg Svay(Prasat Bakhan)へ。道の状態が良いのでプノムダイまで2時間。そこから左折して、まぁ、そこそこの悪路を2時間弱で最寄りの村Ta Ssengに到着。
村中の道はChoam Khsan同様砂地で走りづらい。村のはずれに最初の、バイヨンの様な四面塔の有る遺跡。その塔よく見ると一面ごとに表情が違う。近くにいた村人に遺跡の大体の位置関係を聞くと、その遺跡を挟んで右の村方向にMebonとBarayと言う名の遺跡。左方向がPreah Khan本体。先にPreah Khanへ向かう。やはり大きい。Angkor Thomミニチュア版といったところか。
周壁門から中へ入る。やっぱり広い。本殿までしばらく歩いて行くと、右手に経蔵。進んで左右に石組の池。ラテライトの建物。そして本殿前には壊れた空中参道。それを渡って本殿敷地内へ。石組が崩れていたり、背の高い草が繁茂していたりで歩きにくい。本殿敷地内では、他の建物と違う、2〜3基だけラテライト製の小塔が有ったのが印象的だった。
Preah Khan本体を辞してMebonとBarayへ。Mebonは四隅にある上ガルーダ、下ダムレイ(ヒンドゥー教の象頭の神かも)が印象的。Barayは大きな池のほとりにある、ピラミッド型の祭壇?遺跡。四隅の各段ごとの象の彫刻とかろうじて残る外周壁の偽扉に奇麗に残るデヴァダ ーの浮彫が見所でした。

今回携帯GPS持って行ったので、そのデータやその他の情報を。
:Choam Khsan
N14゜13'06.7"
E104゜56'25.8"
:Preah Vihear寺院
N14゜23'26.7"
E104゜40'49.1"
:Prasat Neak Buos
N14゜13'41.5"
E105゜01'07.9"
:Ta Seng
N13゜24'19.6"
E104゜46'50.6"
:Preah Khan Kompong Svay(Prasat Bakhan)
N13゜24'34.9"
E104゜45'04.4"
:Mebon
N13゜25'08.6"
E104゜46'09.5"
:Baray
N13゜25'22.4"
E104゜46'56.0"
(いずれも誤差がある可能性があります。注意。)

あと、Choam Khsan周辺遺跡に関して、判ってる分だけ。
Thnal SvayはThnal Thmeyという名に。
A-BanはPrasat Neak Buosの更に北東へ3kmほどのダンレック山脈寄り。
Cho Teal TuaはSemaからさらに西へ4km行った辺り。
Cho Teal KohはPreah Vihear寺院の南、数km。
SemaはChoam Khsanの西3kmの湿地帯中を通る、村への道の直ぐ脇の放牧場にもなっている森の中。
Khla Dengは現在ダンレック山脈のタイ領内側。行けない事もないが、とても危険だそう。
Sneng KrabeiはChoam Khsanから西南西10km。ただし、今は地雷原の只中で近づけない。

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